2011年12月28日

年の暮れに

先日、とあるテレビ局から出演依頼があった。

なんでも、関西のラーメン店でガチの勝負をしていただいて、順位を競う特番の出演依頼である。

当然ではあるが、丁重にお断りさせていただいた。
審査員には憧れの料理評論家さんや、京都の料亭のオーナー店主等、ワタシのラーメンを是非、食べて頂きたいとは思ったのだが、他店との比較となると話が違う。

大体、こういう企画は大嫌いである。
理由は、ラーメン屋たるもの、どの店主も「自分のラーメンが一番!」と思っているに違いないのだ。逆に2番や3番とかのラーメンなんて、全く価値がないと思う。
それを一部の評論家さんに評価いただいて優劣をつけたとして、何になるのか?

言い方は悪いが、我々の敵は他ラーメン屋さんではない。我々が勝負する相手は「お客様」なのである。

旨いラーメンなんてお客様が100人いたら、100人違って良いのだ。
100人のうち100人がウマイというラーメンなんて、出来るワケない。それはある意味、インスタントラーメンの世界だ。我々には用事はない。
我々は100人の内、2人でも3人でも良いのだ。それでも自分たちが納得行くラーメンを作り続けたい。そして、我々が精一杯作ったラーメンがお客様に伝わった時、感動をお客様からいただけるのだ。その繰り返しである。それこそがワタシの一生の目標だ。それ以外の事は重要ではないのだ。

以前、雑誌の企画の某ラーメン大賞の件で、ヤハリお断りさせていただいた事がある。
大賞は光栄だが、その前年に新人賞選考の件で、納得行かない結果だったのでお断りさせていただいたのだが、今度は「大賞」ということで文句無しと言いたい所なのだが、自分の心が許さなかった。
新人賞の選考に異を唱えた以上、大賞を「ハイ、有難うございます」と受けるのは卑怯だと感じたからである。
その考えは十人十色だろうし、本来せっかくいただけるワケだし受ける方が多数だとは思う。雑誌効果で経営も楽になるだろうし、お店も増やす事も出来る。
しかし、ワタシの目的は店を増やす事ではない。経営が楽になろうがなかろうが関係無い。
選考員の方々には本当に失礼したと思っている。直接、お詫びも申し上げた。

ワタシは「旨いモン」を作るために生きているのだ。
他人に勝つために作った料理など、興味はない。
ワタシはお客様に「旨い」と言わせたいだけなのだ。
ただ、理解いただけない方に無理を言う事もないし、何よりも他人に媚びるのがキライなので、合わない方に無理やり合わせるような卑怯者には、絶対になりたくもない。

確かに旨いモンを作るのにはお金がたくさんあったほうが良いだろう。新規客がたくさん来て、たくさん儲けてたくさん売れる。コレに越したことはない。
しかし、ワタシは他ラーメン店をダシにしてまで、こういった企画に興味を持ってNO1 になりたいとは全く思えない。駆け出しの腕試しでなければ、参加なんてとてもしたいとは思えない。

参加した店主方々を馬鹿にしたいわけではなく、こういった企画をするTV局、番組に嫌気がさすのだ。
番組を見ないと何も言えないので、一応、見てはみるが。
posted by 赤シャツ at 02:39| 日記

2011年11月19日

続々番外編 

前回の記事を書いてから約一年、お客様も大分つけ麺を啜り方をご理解いただけたようで、上手にお食べになられているお客様をチラホラ見かけるようになってきた。
嬉しい半面、相変わらずだなと残念に思うことも相変わらず減らない。
コレは、関西圏は「もりそば」よりも「かけうどん」を主流とした麺文化の表れだと強く思う。

あんまり食べている最中にお客様に声をかけることもどうかと思うので、以前よりも少なくなってきたが、目を瞑りたくなるような食べ方をされる方も後を絶たないので、余程の場合を除き、黙っているようにしている。

さて、皆様はつけ麺を食べる時に、麺を右(利き手)側、ダシを左手側において食べておられるだろうか?
麺野郎では、できるだけダシを左、麺を右にお出しするように心がけているのだが、それをわざわざ逆転させてまで、左側から窮屈そうに手を交差させて麺を取り、右側に口元を近づけて食べておられる方が非常に多いのだ。(左利きの方は逆に考えていただければと思います)
和食では、汁物が右で、ご飯が左と作法でほぼ、決まっていると言って良い。
その影響かはわからないが、つけ麺においては、和そばの作法に準じた解釈をしたいものである。

その解釈とは、ダシを左側、手で持つ方、麺を右側、箸を持つ側である。

口に入れた味わいにはそんなに影響が無い物なので、普段はお客様が食べられているのを眺めているのに留めているのだが、大方、6割強の方が左右逆のスタイルで麺を食べられていると思う。

理想的なスタイルは麺を右奥、で、ダシは左手に持つのが正しいと思う。
熱いので持てないと言う方は、ほぼ中央にダシを置き、頭を少し沈めて丼の縁から啜り込むように食べていただくと良いと思う。
私はそばが大好物で、そば屋にもよく行き、ほぼ決まって盛り(ザル)かぶっかけをたのむ。盛りをたのんだ時にはそば屋さんはお盆で供されることが多いいのだが、ほぼ例外なく出汁が左、そばが右側で供される。

まあ、食べ方は食べ手の自由なのだが、つけ麺に限っては、美味しく食べるために少し、教養というか、知識として覚えていてもらいたいものである。

posted by 赤シャツ at 18:37| 日記

2010年12月19日

続 番外編

さて、この「啜る」という食べ方がつけ麺にとって必要不可欠な食べ方であるとう説明をさせていただくことにする。

つけ麺の多くは、麺と出汁が別々に供される。掛けの麺(ラーメンやうどん、かけそば)は丼一つで供される。
言い方を変えれば、つけ麺はわざわざ麺と出汁を分けて供さなくてはならない意味があるのである。

それは、麺の状態、いわゆる麺そのものの質を出来る限り良い状態で維持する作業が加わるからに他ならない。
それは、「麺を水で〆る」という作業である。

一度、話を変えて、茹でられた中華麺が安定する温度は何度なのかという問題に移りたい。

私が感じるに、麺の品質を維持する温度は、低ければ低いほど良いと思う。
最高に品質を長時間維持出来る方法はいわゆる「低温冷凍」ではないかと考える。
茹で上がりをほんの少し早い目にして水で〆め、ブラストチラーに短時間で冷却して、−60度の温度で冷凍すると、長時間品質はほぼ劣化しないのではないかと思う。
しかしこれは実際、本格的に研究したわけではなく、私の出来る設備の中で試しただけなので、冷凍麺で商売しておられる方から言わせると少なからず違うことを言っているかもしれないが、今回はあくまで例えの話なのでご勘弁いただきたい。
それと、食べる直前には一度温度を上げて麺を茹で上がり状態に戻す作業が必要になる。

で、次に良いと思われ、誰でも容易に出来る作業が「水で〆る」作業だと考える。
水で〆る作業の最大の目的は「温度を奪う」ことであるのは言うまでもない。
逆に言えば「お湯」でするのはあまり意味が無い。なぜなら、温度を奪うことにより、麺の弾力の源である「グルテン」の劣化を防いでいるからなのである。
あまりと書いたが、さらのお湯で麺の表面の茹で湯を洗い流すことはそれなりに意味があるとは思う。但し、本来の目的とは違うので、違う趣旨を持ってこざるを得ない。

さて話を戻し、「麺を〆る」=「温度を奪う」という説明をした。
温度を奪うことで、より、麺の状態を安定させる。その目的こそが、「つけ麺」の最大の魅力であると私は解釈をしている。
その目的とは言うまでもない「麺をより美味しく、より多く食べるため」だと思うのだ。
その為、つけ麺の麺をわざわざ温め直したり、麺をタップリ出汁に浸し、モグモグ食べられるのは私から見て正直「邪道喰い」に見えてしまうのである。それとやはり通常より多く食べていただきたい。逆に少なめで良いのならばわざわざ水で〆るような手間をかける事ですら意味が無いように感じる。食する事に短時間ですむ訳で、つけ麺を食べる趣から逸脱すると思う。

「ゆっくり食べたいから」と申されるのであればぶっちゃけ麺類を食べること自体考え直すべきである。
麺類は誰がなんと言おうと出来上がりを素早く食べるのが旨いのだ。まぁラーメンに比べつけ麺の方がそう行った方には比較的向いているとは思うが、「ゆっくり」を優先するのであれば麺類は選択肢から一番最初に外れる事になるのは間違いないだろう。

さて、つけ麺は、せっかくよい状態の麺が目の前にあるので、ヤハリここは麺を一口分箸でつまみ、出汁に浸した後、そのまま唇で受け止め麺を一気に啜り上げて食べてほしいものである。
口の中で噛むごとに、麺から麺本来の味や風味、同時に啜り上げた出汁と渾然一体となり、喉越しよく落ちていくのが理想である。
麺が〆てあれば、出汁に浸し過ぎなければ熱くならず、勢い良く啜れるはずだ。
その勢いさえよければ必然的に出汁は麺に絡む。前回私が言いたかったのはまさにこの事である。
この食べ方こそが、「麺喰い」や「そば喰い」と呼ばれる人たちの当然の食し方である「啜る」と言う事である。
逆に言うと、出汁に浸して馴染んだ麺をご所望なら、結局、ラーメンを食べたほうが都合がよく、つけ麺を食べる趣から外れることとなるのだ。そのラーメンですら、最初はともかくある程度は「啜る」ように食べたほうが美味しいのではないかとも思う。ただつけ麺ほど味わいに変化はないとも思う。
余談だが、私自身はラーメンを食べる時にレンゲやその類は滅多に使わない。器が石焼とか、他事情がない限り丼から直接、いただくようにしている。

ちなみに「そば喰い」の方々は「蕎麦を手繰る」とも言うと聞く。それは箸をもつ手がまさに物を手繰っているかのような連続動作で食べている事を指しているのではないかと思う。(つづく)

posted by 赤シャツ at 13:53| 日記

2010年10月08日

番外編 つけ麺に対しての主観

「つけ麺」は、非常に面白い食べ物だ。比較的新しい中華麺料理で、私自身、ラーメンを志した時には全く存じてなかった物なのだが、最近、すっかりハマってしまい、「つけ麺」を特化したお店まで作ってしまったほどだ。

新しい食べ物であるだけに食べ方がお客様によって様々だ。つけ麺を特化した店「麺野郎」では、私が食べ歩いた経験と、今まで対応してきたお客様を見てきて、麺野郎のつけ麺を最高に美味しく食べていただけるように食べ方を店内に掲示している。

コレが賛否両論で、いやどちらかと言えば否が多いいように感じているのが実状なのだが、作り手として私が思うに、大阪や近畿圏の方々は麺類といえば「かけうどん」が主流で、付けで食べる「もりそば」系の食べ方に不慣れな方が多いように感じる。

麺ののどごしや素材(小麦や蕎麦)の味、歯ごたえを楽しむ「付け」スタイルの麺料理に対して、「掛け」スタイルの麺料理は出汁や具と麺の一体感を楽しむ物なので、味わいたるや、全く別物なのであるのは言うまでもないのだが、いや、言うまでもないと思っていたのだが、新規のお客様の食べ方や、インターネットの感想を見ると、どうやら「掛け」と「付け」の区別が付いていないように感じるのだ。

私自身、あんまり好き勝手に言われるのを我慢出来ない性格なので、ここ数年、お客様にどう上手く伝えて良いか模索しているところなのだが、最近、特につけ麺を食べた方なのだろうか「麺が出汁をはじく」「スープがからまない」と言った記事をよく目にするので現在の私の考えを書く事にした。

まずつけ麺を食べるに当たって、「麺が出汁をはじく」「スープがからまない」という感想は完全に的外れだと言っておこう。
一応言っておくが、「的外れ」が悪いと言っているわけではない。あくまで個人的主観は尊重するつもりだ。好みは誰にでもある。好き嫌いも然り。
但し、つけ麺としての「美味しさ全体」と「麺が出汁をはじく」「スープがからまない」というのは全く別の話なのである。それを一緒に捉える事が、私が言う「掛け」と「付け」の区別が付いていない事なのだと思う。

逆に言うと、つけ麺の出汁は「ラーメンのスープ」とはやや意味合いが違うことは当然だ。スープとして飲めるくらいの塩分であれば当然、つけ麺には味わいが薄く感じるだろう。
ラーメンはスープも楽しむ物で、麺が浸っている時間もつけ麺とは比較にならない。当然、、塩分もそこそこに作られる。

その上で、つけ麺に対して「麺が出汁をはじく」「スープがからまない」と言う方は正直「つけ麺が不向き」と言わざるをえない。それは「付け」スタイルの麺料理の良さ、素晴らしさを理解出来ない何かがあるからなのであろう。

何が言いたいかというと、一言「啜る」という、麺を食べる事に最も適した食べ方を関西の一部の方々はご存知ないのかもしれないと、最近強く思うのだ。
(続きます)
posted by 赤シャツ at 20:16| 日記

2010年03月12日

麺の話26

麺野郎がオープンして2年半になろうとしている。製麺機も大型の物を運よく導入できて、製麺も大分楽になった。

当初は上手くいかない所もあるにはあったが、今までの経験、積み重ねのおかげで、無難に修正できる範囲でのものであった。

改めて感じたのだが、やっぱり、大きなローラーはよいものだ。今まで「合わせ2回」かけていたところを1回で済む。
ローラーの径が大きい分、生地に密着する面積が大きいため、生地に滑らかに力が掛かり真空ミキサーのおかげからか、
密度もあり、均質でいて弾力も程よく、シナヤカであった。

そして、今までの小型製麺機では最初の切り出しの麺と最後に切り出される麺では、厚みに多少の変化が生じていたのだが、それがほとんどなくなった。
今までは切り出しの厚みを微調整していたのだが、今ではその必要もほとんどないように感じる。
それも、ローラーの径の大きさが関係していると思う。

麺体をローラーに巻くと、どうしてもローラーの中心が膨れてくる。それは、外側の生地が自然と中心に圧力をかけてしまうからで、この現象は、製麺では防ぎようもない。麺体をシート状にたたむか、巻き取りをせずに、一本ラインで麺を仕上げない限りは必ずローラーの内と外では結果的に微妙な生地の厚みに違いが生じているハズである。

それを防ぐには、できるだけ厚い生地の状態から麺線になるまでの厚みを一気に通してやる事が必要だった。こうすれば厚みの変化を最小限に抑えることが出来ると思い、実際、成功したと思っている。

製麺屋でも、巻き取りする麺や、一気に仕上げる麺があると思うが、一気に仕上げる場合、製麺屋には必要不可欠な機械がある。
それは、今回麺野郎でも導入することが出来た、「複合機」と呼ばれるものである。

「複合機」の威力は以前、「熊五郎」の福島工場を立ち上げた際に導入できたので十二分に理解していた。

どういうものかというと、ローラーが計6つついていて、最初の4つのローラーにミキサーで練られた生地が入り、それが2枚のシートになり、それをさらに、最後のローラーで一枚にする物である。
コレを小型製麺機ですると、最初にバラガケをしてローラーに巻き取り、それを2つに分け、合わせて巻き取るという作業になるのだが、そこまでの手間が一気に省けるのが「複合機」の威力である。

しかも、ロール径も今までより大きいので、生地もナメラカ、シナヤカになり、今までの「2回あわせ」の必要がなくなり、容易に、安定した製麺が可能になった。

ミキサーも、今までの倍の25キロクラスの生地が入る大型の物を導入できた。コレにより、粉を一回一回計らずとも25キロの袋そのままミキサーに入れる事が出来るので、水も一度に計れる。カンスイや塩も倍の量になるので、本当に手間が少なくなった。

この「複合機」なのだが、自家製麺の個人店舗で導入しているのは、あまり聞かない。

逆に「自家製麺」と「製麺屋」の違いは、この「複合機」にあるのかもしれないとも、思ったのである。(つづく)

posted by 赤シャツ at 15:24| 日記

2009年12月31日

麺の話番外編 「彩々@針中野」

番外編として、私が最近、特に感動したラーメン店を取り上げさせていただきたい。

彩々@針中野は、現在の関西屈指の気鋭店である。
店主は私よりも若く、まだ二十代で中華料理店を経営されておられた。
私がこちらのお店に、初めて伺ったのは、2006年の末の事だった。
知人から「ラーメン専門店には負けない」というのがポリシーの中華屋さんがあるとの噂で、即刻、駒川まで高速に乗った思い出がある。
しかし、同時に、ラーメンの印象は全くなかったのが事実だ。
あったのは店内にある「専門店には負けません」と書かれた文字だけだった。

しばらくして、私の店に彩々の店主が来られた。何かの情報が伝わってしまったのか、おとなしく帰ってきたハズなのに、店主には私が「麺哲の庄司」と言う事はわかっていたようだ。

それからしばらくして、彼はラーメン専門の道に目覚めたのか、店をリニューアルして、製麺機を購入し、元の中華屋さんを、「自家製黒味噌」を使った「味噌ラーメン」を特化した、ラーメン専門店にしてしまったのである。

元々、中華で修行されていたこともあり、調理の技術は確かで、なにより、独学の店によく見られる、素人っぽさがなく、正直、抜群のラーメンを作るのは時間の問題だとは思っていた。
味噌ラーメンを特化したのもよいと思った。
醤油や塩よりも、中華の技術が生きるラーメンを作りやすいように感じる。
事実、彼が本気で取り組んだ専門店的ラーメンは、どれも見事な味だった。
ただ、なんとなく店に迫力といおうか、謙虚な性格が災いしてか、専門店のエネルギッシュさに欠けるイメージがあり、約2年ほど、足が遠のいていたのが事実である。

最近、知人が彩々で食べたという新ラーメンが気になり、先日、久々に伺ったのである。

味は、当然の事ながら抜群だった。最近よくあるスタイルながらも旨味が十分、素材感や麺に至るまで隙のない味だった。
しかし、それより麺の扱いが壮観であった。
カウンターの目の前で、3種類ほどの麺を、メニュー毎に使いわけている姿は、迫力があった。以前のこの店に足りない物が私が何かわかった瞬間でもあった。
ラーメン店は今までの長い過去の中、「スープ」でメニューの種類や特徴を出してきた。コレからも大方、変わらないだろうが、特徴を出すことは、麺の種類でも可能なのではないか?ということがこの店から学べた。

SBCA0188.JPG
今回いただいたのは「白鶏麺」(パイチーメン」だ。
鶏の白濁系だが、旨み十分で上品な味わいだ。
具や麺にいたるまで、店主の努力が伺える味だ。

最近はこの店、常時満席、行列らしい。
店主の努力を見てきた常連様からからすると、当然の結果と言ったところか。


麺哲関連店舗をご利用のお客様、今年一年もご贔屓ありがとうございました。
今年は近鉄祭事や横浜中華街ラーメン駅伝等、初めての取り組みでしたが、皆様のご協力のおかげで、楽しく仕事ができました。
来年もよろしくお願いします。     店主 庄司忠臣
posted by 赤シャツ at 14:30| 日記

2009年11月24日

麺の話25

私がこの「特製もりそば」を、初めて目の当たりにしたのは、関東の某ラーメン王さんが出された雑誌を見たときである。
正直、その当時は何とも思わなかった。
なぜならば、冷たい麺を熱い出汁で食べる疑問?のようなものがあったのだが、実際食べてみて面白かった。意外に「啜る」事が楽しいのだ。
麺が冷たいので猫舌の人でも中華麺を啜れるのである。

この「つけめん」の長所は「啜れる」他に、「麺を水で〆る」作業が必然的に入っている。これが良い。

中華麺はアルカリ性なのだが、麺の茹で湯も当然アルカリ性になっていく。
強力なかん水で作られたアルカリは「苦味」を強く持っている。これが一部の中華麺本来の味や、スープの味を妨げているのは言うまでもない。
コレを、水で〆ると、滑り(アルカリ)がいくらかとれる。
麺を冷水で温度を奪うので、麺がダレにくく、よい状態が長持ちする。
これがフレッシュな麺なら、そのままでも旨い。それに濃厚な出し汁をつけても麺本来の味が楽しめる。結果オーライなのかも知れないが、よく出来たものである。

しかし、この、「麺を〆る」作業が「一部のラーメン店」では致命傷になりかねない失敗を引き出す原因になる場合もあるのだ。

細かく解説するとしよう。
中華麺はほぼ全て「アルカリ性」である。
逆にスープはほぼ全てが「酸性」なのである。
それは「グルタミン酸」に代表される「旨み成分」は当然「酸」であるからだ。言い方を変えると「旨み≒酸味」なのである。
「≒」はココでは「非常に近いもの、もしくは大方同じもの」と理解していただきたい。

で、アルカリはというと「苦味」である。
できる方は、かん水や重曹を少しだけ舐めると、よくわかると思うが、素晴らしく苦い。
アルカリの反対は酸なので、苦味の反対は酸味なのである。これがポイントだ。

数年前 関東を中心に食べ歩きをして感じたのだが、トンコツ白濁系の店によくありがちな嫌味のようなものをいくつかの店で感じた。これは昔の関西でもラーメン店でもよくあった「酸味」に由来する「嫌味」なのである。

なぜ「嫌味」なのかというと、完全に「酸味が不自然」なのである。旨みの酸味なのではなく、ものが劣化、酸化したような「酸味」がするのだ。


中華麺はアルカリ性なので、麺を水で〆ずにスープに直接入れると、アルカリと酸が瞬時に反応して「水と塩(えん)」になる。この反応を「中和」と言い、中学校までの理科で習った。
逆に、この反応があるからこそ、「一部のラーメン店」は、救われてきたのかも知れないと、以前、強く思っていたのだ。
この反応、「ラーメン」ならある程度、強めにしたとすれば「つけ麺」ならどうだろう。それほど反応しないのではないか?

感のよい方はもう、気がついただろう。

posted by 赤シャツ at 10:48| 日記

2009年10月12日

麺の話24

麺の話17や22の続きのような話になるので、よかったら読み直していただいてから読んでいただきたいとおもう。


ラーメン店でよく見る、麺を茹でるのに重宝する道具「てぼ」を使うのはラーメンの他、立ち喰いうどん、そば屋さんやスパゲティを主にした、パスタ類に多い。

「てぼ」はそれぞれ大きさもイロイロなのだが、出来れば狭い、小さいものは避けたい。何故なら麺が湯の中で泳ぎにくいので茹でムラ、くっつきやすくなるのだ。
それは中華麺、パスタ、共に注意することでもある。
うどん、そばの生麺を「てぼ」で茹でるのは正直、オススメしない。言うまでも無く大釜で茹でて、水で〆め、それを暖めなおす作業で使うべきで、言うまでも無くというのは、ほとんどすべての「うどん、そば店」で、それは守られている事なのだ。

そういう事で、「そば、うどん」と「パスタ、中華麺」の違いはと言うと「水で麺を〆る」作業の有無だろう。

そば、うどんはほぼ、茹で上がったら冷水で〆る。
表面の滑りを取り、出し汁へのにごり成分を排除し、麺の温度を奪い、コシを安定させる。
結果、盛り(ザル)やぶっかけで食べると、口当たりがシャッキリして麺の味も良くわかり、「麺を食べる醍醐味」を味わうことが出来る。
これを「かけ」にする場合のみ「てぼ」を用いる。

この〆る作業はある意味、中華麺にとっても大切なのではないか?と思うのだ。

この作業が昔から定着していれば、ラーメンが一昔前のような「スープ偏重」の食べ物ではなかったのかも知れないのである。

そば、うどん好きの人はほぼ盛りやぶっかけのスタイルの献立を注文する。
それは〆た麺のほうが「かけ」スタイルの麺より圧倒的に「麺」を味わうことに適していることを知っているからである。

ご存知の通り、ラーメンの麺は茹で上がった後、湯きりのみをされてドンブリに入れられる。いわゆる「釜あげ(かけ)」である。
それゆえ、茹で上がりを巧みに計算して、トッピングや客席までの距離等を逆算してちょうどよくなるように茹でられる。
それが水で〆た麺は、ほぼベストの状態まで茹でる事が出来、さらに温度も低い状態で提供されるので、麺の「生き」の時間が長い。
口に入れても熱くないので味わいやすく、「啜る楽しみ」も生まれる。

この「啜る楽しみ」を最大限に生かした新感覚のラーメン?が「つけ麺」なのだと思う。
私がこれを初めて食べたのが「大勝軒@西宮」だ。名店「大勝軒@東池袋」直系の店らしく、店では「特製もりそば」と唄われている。

続く
posted by 赤シャツ at 23:55| 日記

2009年09月02日

麺の話23

いまから4年ほど前、某とある店で自家製麺に切り替えるとの事で試食させてもらったのだが、その旨そうなビジュアルからはとても創造できない「麺の味の無さ、水っぽさ」に試食中、違和感を感じて、某店主に思いついたことをイロイロ尋ねてみた。

確かに「コシ」は大切である。旨い麺の条件として、「麺の弾力」は欠かせない。しかし、その麺は弾力に不自然さがわずかにあり、少々、噛み切るときの潔さが少ないと感じた。
それにやけに麺の味、小麦の風味にかけるのだ。つけ麺にしていただくと、弾力は豊富だが、やけに水っぽい、それが一番気になった。

原因は多分「かんすい」だと思う。
某店主は粉をイロイロ試されていたが、カンスイは試供品だと言う。拝見させてもらって驚いた。「カリウム81%、ナトリウム10%、その他、、、」といったものであった。

このカンスイでは、味は出ない。どれだけ良質の粉でも、その粉の真価は、このままでは永遠に隠れたままになってしまうであろう。ただ、麺のコシのみに気をとられたわけでは無いだろう。

私が言いたいのはこの「製麺機業者」も、こういったカンスイをこれから始めようとする店に持ってくる事が一番気になる。「コシ」があれば、それでいいのか?作りやすく、扱いがよければ「味」を犠牲にしてもよいのか?

当時の「ラーメン業界の至らなさ」がくっきり見えた気がしたのだ。

以前も書いたが、カンスイのカリウム分が強すぎると、麺の味が格段に低下する。口どけ感が無く、風味が乏しい。
反面、麺の硬さは出る。茹で延びもしにくく、扱いやすい麺になる。

そういった麺は、「濃厚スープ」ならあまり問題ではない。なぜなら、濃厚なスープは、勝手に麺にスープがまとわりついてくるし、ラーメンとしての楽しみ方が「アッサリスープ」とは根本的に違うからであろう。

「某とある店」のスープはは、「無化学調味料」で大阪ではアッサリの代表格のような味付けで有名な店である。店主の人柄をそのままスープにしたような、やさしい味の和風ラーメンだ。
そういったスープは、麺の長所も短所も同時に引き出してしまう、つけ麺にすると、それがより強調されるだろう。

当時、試食段階で発見できて、今はよかったのではないかと思った。その店は、いまや行列必至で、関西ラーメン総合のタイトルを得るまでに成長されたからである。
店主の努力と誠実さがラーメンの味に現れたのだろう。
これからも精一杯努力した分、さらに味になるのだと思う。

posted by 赤シャツ at 16:56| 日記

2009年07月14日

麺の話22

 麺の話17で麺の「ゆで方」のことに触れたが、「旨い麺」をゆでる大事なポイントとして「茹で釜」の問題がある点についてさらに掘り下げて解説をしたい。

単純に「大鍋でタップリのお湯で、泳がすように茹でる」のが好ましいのは周知の事実だろう。素人さんでもわかることだ。

しかし中華麺はアルカリ性の為、同じ湯で回数茹でると、水が赤く濁り、匂いもきつくなり、粘度も持ってしまう、さらに打ち粉のデンプンが湯にネバリを与え、口当たりも悪くなる。
この特殊な性質を理解することが、永遠に中華麺の扱い方の中で、一番気を使わなければならないところなのである。

麺は生の状態よりも、茹でると目方は5割〜8割増しになる。これはその分、麺が水分を吸収するということだ。

ということは、そのような汚れた湯の中にどんな良質な麺をいれても、アンモニアやアルコールのアルカリ臭の強い麺になってしまう。これではせっかくの麺も意味がない。
そこでその茹で釜はどんなものを使っているかも大きなポイントである。

理想的な物は、茹で釜に給湯装置がついていて、常に新しい湯と循環できるもの。コレがベストだろう。私も上方屋五郎ヱ門時代から使っているが、すこぶる調子がよい。

次によいのは大鍋二つ用意して、片方づつ使っていく方法だ。もしくは、茹で釜の他に湯沸し釜を用意するのも意味合いは同じである。汚れた水を廃棄して、新しい湯で茹でる事が出来れば問題は解決する。私が駆け出しのころはこの方法をとっていた。

上記2例は、当然ヒラザルやスイノウのようなもので、麺を取り分ける必要があるので、数玉同時に茹でる際などに、出来るだけ多くの「さし水」をしてあげたいものだ。麺が吸収する水分補給にもなるし、湯の循環もよくなる。

実は麺を茹でるのに理想の湯はすこし麺を茹でた後なのだそう。それは粉の専門家から聞いた話しで、私が実感したわけではない。が、さら湯のほうが汚れた湯よりは100倍マシなのは言うまでもない。

話を戻し、その次はというと、「茹で麺機」で茹でる方法である。

高級な「茹で麺機」には「循環装置」や「噴射装置」がついている。
「循環装置」は先に説明した通り、給湯をしてくれるので湯を変える必要や、湯を足す必要がなくなる。

「噴射装置」は、沸騰した湯を麺に噴射して、狭い「てぼ」の中でも麺が泳ぐように工夫されている。「京都百年屋」で初めて使ってみたのだが、なかなかのものである。上手く麺が泳ぎ、大鍋と比べても遜色ない茹で上がりになった。
この方法は数を裁くのに有利だ。というか、数を裁くにはある意味この方法こそがベストなのかもしれない。

ただ、この「茹で麺機」の「噴射」「循環」装置付の物は機械の値段が極端に高いのである。大阪の個人店では、あまり見かけないのも無理はない。私も値段を聞いてビビった。
循環装置はついても、噴射のないもの、両方ないもの。イロイロあるが、まさにピンキリ状態である。
ただ、技術がないのを認めるなら、潔く高級な茹で麺機を買うべきだと思う。そうでなければ、技術を磨けばよい。

ワタシが最近見かけるので、あまり感心しないのは、やや大きめの「寸胴」にテボを掛けて麺をゆでる場合である。(一応、すべてではない。と、いっておく)

これは「寸胴」というものの役割を理解していない職人がよくする行為に感じるのである。
本来「寸胴」は、スープやダシの炊き出しに使うのが正しいのだ。麺を茹でるのは、茹で釜でするのが当たり前なのである。
当然、決定的にダメというわけではなく、長く続ける事を前提とするならば、その仕事はムリがあるようにおもうのだ。
逆に、野外の縁日など、急ごしらえの時などは寸胴で麺をゆでる事もありえるだろう。持ち運びが出来るので役に立つ道具である。

但し、大き目の寸胴に湯を張ると、相当重い。って言うかはっきり言ってもてない。当然、寸胴は持ち運びするときは、中身は空っぽが当然だからだ。そのように作られているのも言うまでもない。

察しの通り、持てない寸胴の汚れた湯を廃棄するのは難しい。で、初めの方はまだマシだが、どんどん汚れていく。当然、想像どうりの雑味のある麺になっていく、と、こういうわけだ。

事実、ワタシが今まで食べてきた店で寸胴で、麺を茹でている店で、こまめに湯を取り替えるような仕事を目撃したことは今まで一度もない。
逆に言うと、寸胴でも中華鍋でも、湯の取替え作業をしている店はこれには当てはまらない。いや、これが行き届いている店ならば旨い麺が出てくる可能性は非常に大きいと思う。

この「寸胴」で麺を茹でている店は「てぼ」を併用する場合が多い。噴射装置があるわけでもないので、よくかき回す必要があるにはある。ただ、あまりかき回すと麺の表面が荒れ、角のないだらしない麺になりやすい。しかしかき回さないと茹でムラが出来てしまう。
但しコレは対策が無いわけでもない。
水分の低い、短時間で茹で上がり、ほぐれのよい麺を使うのであればほぼ、問題が無いように感じる。

何が言いたいかと言うと、ようは「旨い麺」というのは、ゆで方が特に重要だとも思うし、逆に、おざなりなゆで方ではどんなによい麺でも完成度が半減以下になりうる。
麺を茹でるというのはラーメン作りにおいて最終仕上げであり、最も大切な作業なのである。

長時間かけてスープ採る事や、ブランド素材を使う事よりも、あえてそれ以上に大切な仕事であるとワタシは思っている。

そういう事が行き届いている店は、必然的に他の素材の仕上げも怠らず、当たり前に旨いのだなあと、最近、特に思うのだ。



posted by 赤シャツ at 17:00| 日記