2010年03月12日

麺の話26

麺野郎がオープンして2年半になろうとしている。製麺機も大型の物を運よく導入できて、製麺も大分楽になった。

当初は上手くいかない所もあるにはあったが、今までの経験、積み重ねのおかげで、無難に修正できる範囲でのものであった。

改めて感じたのだが、やっぱり、大きなローラーはよいものだ。今まで「合わせ2回」かけていたところを1回で済む。
ローラーの径が大きい分、生地に密着する面積が大きいため、生地に滑らかに力が掛かり真空ミキサーのおかげからか、
密度もあり、均質でいて弾力も程よく、シナヤカであった。

そして、今までの小型製麺機では最初の切り出しの麺と最後に切り出される麺では、厚みに多少の変化が生じていたのだが、それがほとんどなくなった。
今までは切り出しの厚みを微調整していたのだが、今ではその必要もほとんどないように感じる。
それも、ローラーの径の大きさが関係していると思う。

麺体をローラーに巻くと、どうしてもローラーの中心が膨れてくる。それは、外側の生地が自然と中心に圧力をかけてしまうからで、この現象は、製麺では防ぎようもない。麺体をシート状にたたむか、巻き取りをせずに、一本ラインで麺を仕上げない限りは必ずローラーの内と外では結果的に微妙な生地の厚みに違いが生じているハズである。

それを防ぐには、できるだけ厚い生地の状態から麺線になるまでの厚みを一気に通してやる事が必要だった。こうすれば厚みの変化を最小限に抑えることが出来ると思い、実際、成功したと思っている。

製麺屋でも、巻き取りする麺や、一気に仕上げる麺があると思うが、一気に仕上げる場合、製麺屋には必要不可欠な機械がある。
それは、今回麺野郎でも導入することが出来た、「複合機」と呼ばれるものである。

「複合機」の威力は以前、「熊五郎」の福島工場を立ち上げた際に導入できたので十二分に理解していた。

どういうものかというと、ローラーが計6つついていて、最初の4つのローラーにミキサーで練られた生地が入り、それが2枚のシートになり、それをさらに、最後のローラーで一枚にする物である。
コレを小型製麺機ですると、最初にバラガケをしてローラーに巻き取り、それを2つに分け、合わせて巻き取るという作業になるのだが、そこまでの手間が一気に省けるのが「複合機」の威力である。

しかも、ロール径も今までより大きいので、生地もナメラカ、シナヤカになり、今までの「2回あわせ」の必要がなくなり、容易に、安定した製麺が可能になった。

ミキサーも、今までの倍の25キロクラスの生地が入る大型の物を導入できた。コレにより、粉を一回一回計らずとも25キロの袋そのままミキサーに入れる事が出来るので、水も一度に計れる。カンスイや塩も倍の量になるので、本当に手間が少なくなった。

この「複合機」なのだが、自家製麺の個人店舗で導入しているのは、あまり聞かない。

逆に「自家製麺」と「製麺屋」の違いは、この「複合機」にあるのかもしれないとも、思ったのである。(つづく)
posted by 赤シャツ at 15:24| 日記

2009年12月31日

麺の話番外編 「彩々@針中野」

番外編として、私が最近、特に感動したラーメン店を取り上げさせていただきたい。

彩々@針中野は、現在の関西屈指の気鋭店である。
店主は私よりも若く、まだ二十代で中華料理店を経営されておられた。
私がこちらのお店に、初めて伺ったのは、2006年の末の事だった。
知人から「ラーメン専門店には負けない」というのがポリシーの中華屋さんがあるとの噂で、即刻、駒川まで高速に乗った思い出がある。
しかし、同時に、ラーメンの印象は全くなかったのが事実だ。
あったのは店内にある「専門店には負けません」と書かれた文字だけだった。

しばらくして、私の店に彩々の店主が来られた。何かの情報が伝わってしまったのか、おとなしく帰ってきたハズなのに、店主には私が「麺哲の庄司」と言う事はわかっていたようだ。

それからしばらくして、彼はラーメン専門の道に目覚めたのか、店をリニューアルして、製麺機を購入し、元の中華屋さんを、「自家製黒味噌」を使った「味噌ラーメン」を特化した、ラーメン専門店にしてしまったのである。

元々、中華で修行されていたこともあり、調理の技術は確かで、なにより、独学の店によく見られる、素人っぽさがなく、正直、抜群のラーメンを作るのは時間の問題だとは思っていた。
味噌ラーメンを特化したのもよいと思った。
醤油や塩よりも、中華の技術が生きるラーメンを作りやすいように感じる。
事実、彼が本気で取り組んだ専門店的ラーメンは、どれも見事な味だった。
ただ、なんとなく店に迫力といおうか、謙虚な性格が災いしてか、専門店のエネルギッシュさに欠けるイメージがあり、約2年ほど、足が遠のいていたのが事実である。

最近、知人が彩々で食べたという新ラーメンが気になり、先日、久々に伺ったのである。

味は、当然の事ながら抜群だった。最近よくあるスタイルながらも旨味が十分、素材感や麺に至るまで隙のない味だった。
しかし、それより麺の扱いが壮観であった。
カウンターの目の前で、3種類ほどの麺を、メニュー毎に使いわけている姿は、迫力があった。以前のこの店に足りない物が私が何かわかった瞬間でもあった。
ラーメン店は今までの長い過去の中、「スープ」でメニューの種類や特徴を出してきた。コレからも大方、変わらないだろうが、特徴を出すことは、麺の種類でも可能なのではないか?ということがこの店から学べた。

SBCA0188.JPG
今回いただいたのは「白鶏麺」(パイチーメン」だ。
鶏の白濁系だが、旨み十分で上品な味わいだ。
具や麺にいたるまで、店主の努力が伺える味だ。

最近はこの店、常時満席、行列らしい。
店主の努力を見てきた常連様からからすると、当然の結果と言ったところか。


麺哲関連店舗をご利用のお客様、今年一年もご贔屓ありがとうございました。
今年は近鉄祭事や横浜中華街ラーメン駅伝等、初めての取り組みでしたが、皆様のご協力のおかげで、楽しく仕事ができました。
来年もよろしくお願いします。     店主 庄司忠臣
posted by 赤シャツ at 14:30| 日記

2009年11月24日

麺の話25

私がこの「特製もりそば」を、初めて目の当たりにしたのは、関東の某ラーメン王さんが出された雑誌を見たときである。
正直、その当時は何とも思わなかった。
なぜならば、冷たい麺を熱い出汁で食べる疑問?のようなものがあったのだが、実際食べてみて面白かった。意外に「啜る」事が楽しいのだ。
麺が冷たいので猫舌の人でも中華麺を啜れるのである。

この「つけめん」の長所は「啜れる」他に、「麺を水で〆る」作業が必然的に入っている。これが良い。

中華麺はアルカリ性なのだが、麺の茹で湯も当然アルカリ性になっていく。
強力なかん水で作られたアルカリは「苦味」を強く持っている。これが一部の中華麺本来の味や、スープの味を妨げているのは言うまでもない。
コレを、水で〆ると、滑り(アルカリ)がいくらかとれる。
麺を冷水で温度を奪うので、麺がダレにくく、よい状態が長持ちする。
これがフレッシュな麺なら、そのままでも旨い。それに濃厚な出し汁をつけても麺本来の味が楽しめる。結果オーライなのかも知れないが、よく出来たものである。

しかし、この、「麺を〆る」作業が「一部のラーメン店」では致命傷になりかねない失敗を引き出す原因になる場合もあるのだ。

細かく解説するとしよう。
中華麺はほぼ全て「アルカリ性」である。
逆にスープはほぼ全てが「酸性」なのである。
それは「グルタミン酸」に代表される「旨み成分」は当然「酸」であるからだ。言い方を変えると「旨み≒酸味」なのである。
「≒」はココでは「非常に近いもの、もしくは大方同じもの」と理解していただきたい。

で、アルカリはというと「苦味」である。
できる方は、かん水や重曹を少しだけ舐めると、よくわかると思うが、素晴らしく苦い。
アルカリの反対は酸なので、苦味の反対は酸味なのである。これがポイントだ。

数年前 関東を中心に食べ歩きをして感じたのだが、トンコツ白濁系の店によくありがちな嫌味のようなものをいくつかの店で感じた。これは昔の関西でもラーメン店でもよくあった「酸味」に由来する「嫌味」なのである。

なぜ「嫌味」なのかというと、完全に「酸味が不自然」なのである。旨みの酸味なのではなく、ものが劣化、酸化したような「酸味」がするのだ。


中華麺はアルカリ性なので、麺を水で〆ずにスープに直接入れると、アルカリと酸が瞬時に反応して「水と塩(えん)」になる。この反応を「中和」と言い、中学校までの理科で習った。
逆に、この反応があるからこそ、「一部のラーメン店」は、救われてきたのかも知れないと、以前、強く思っていたのだ。
この反応、「ラーメン」ならある程度、強めにしたとすれば「つけ麺」ならどうだろう。それほど反応しないのではないか?

感のよい方はもう、気がついただろう。
posted by 赤シャツ at 10:48| 日記

2009年10月12日

麺の話24

麺の話17や22の続きのような話になるので、よかったら読み直していただいてから読んでいただきたいとおもう。


ラーメン店でよく見る、麺を茹でるのに重宝する道具「てぼ」を使うのはラーメンの他、立ち喰いうどん、そば屋さんやスパゲティを主にした、パスタ類に多い。

「てぼ」はそれぞれ大きさもイロイロなのだが、出来れば狭い、小さいものは避けたい。何故なら麺が湯の中で泳ぎにくいので茹でムラ、くっつきやすくなるのだ。
それは中華麺、パスタ、共に注意することでもある。
うどん、そばの生麺を「てぼ」で茹でるのは正直、オススメしない。言うまでも無く大釜で茹でて、水で〆め、それを暖めなおす作業で使うべきで、言うまでも無くというのは、ほとんどすべての「うどん、そば店」で、それは守られている事なのだ。

そういう事で、「そば、うどん」と「パスタ、中華麺」の違いはと言うと「水で麺を〆る」作業の有無だろう。

そば、うどんはほぼ、茹で上がったら冷水で〆る。
表面の滑りを取り、出し汁へのにごり成分を排除し、麺の温度を奪い、コシを安定させる。
結果、盛り(ザル)やぶっかけで食べると、口当たりがシャッキリして麺の味も良くわかり、「麺を食べる醍醐味」を味わうことが出来る。
これを「かけ」にする場合のみ「てぼ」を用いる。

この〆る作業はある意味、中華麺にとっても大切なのではないか?と思うのだ。

この作業が昔から定着していれば、ラーメンが一昔前のような「スープ偏重」の食べ物ではなかったのかも知れないのである。

そば、うどん好きの人はほぼ盛りやぶっかけのスタイルの献立を注文する。
それは〆た麺のほうが「かけ」スタイルの麺より圧倒的に「麺」を味わうことに適していることを知っているからである。

ご存知の通り、ラーメンの麺は茹で上がった後、湯きりのみをされてドンブリに入れられる。いわゆる「釜あげ(かけ)」である。
それゆえ、茹で上がりを巧みに計算して、トッピングや客席までの距離等を逆算してちょうどよくなるように茹でられる。
それが水で〆た麺は、ほぼベストの状態まで茹でる事が出来、さらに温度も低い状態で提供されるので、麺の「生き」の時間が長い。
口に入れても熱くないので味わいやすく、「啜る楽しみ」も生まれる。

この「啜る楽しみ」を最大限に生かした新感覚のラーメン?が「つけ麺」なのだと思う。
私がこれを初めて食べたのが「大勝軒@西宮」だ。名店「大勝軒@東池袋」直系の店らしく、店では「特製もりそば」と唄われている。

続く
posted by 赤シャツ at 23:55| 日記

2009年09月02日

麺の話23

いまから4年ほど前、某とある店で自家製麺に切り替えるとの事で試食させてもらったのだが、その旨そうなビジュアルからはとても創造できない「麺の味の無さ、水っぽさ」に試食中、違和感を感じて、某店主に思いついたことをイロイロ尋ねてみた。

確かに「コシ」は大切である。旨い麺の条件として、「麺の弾力」は欠かせない。しかし、その麺は弾力に不自然さがわずかにあり、少々、噛み切るときの潔さが少ないと感じた。
それにやけに麺の味、小麦の風味にかけるのだ。つけ麺にしていただくと、弾力は豊富だが、やけに水っぽい、それが一番気になった。

原因は多分「かんすい」だと思う。
某店主は粉をイロイロ試されていたが、カンスイは試供品だと言う。拝見させてもらって驚いた。「カリウム81%、ナトリウム10%、その他、、、」といったものであった。

このカンスイでは、味は出ない。どれだけ良質の粉でも、その粉の真価は、このままでは永遠に隠れたままになってしまうであろう。ただ、麺のコシのみに気をとられたわけでは無いだろう。

私が言いたいのはこの「製麺機業者」も、こういったカンスイをこれから始めようとする店に持ってくる事が一番気になる。「コシ」があれば、それでいいのか?作りやすく、扱いがよければ「味」を犠牲にしてもよいのか?

当時の「ラーメン業界の至らなさ」がくっきり見えた気がしたのだ。

以前も書いたが、カンスイのカリウム分が強すぎると、麺の味が格段に低下する。口どけ感が無く、風味が乏しい。
反面、麺の硬さは出る。茹で延びもしにくく、扱いやすい麺になる。

そういった麺は、「濃厚スープ」ならあまり問題ではない。なぜなら、濃厚なスープは、勝手に麺にスープがまとわりついてくるし、ラーメンとしての楽しみ方が「アッサリスープ」とは根本的に違うからであろう。

「某とある店」のスープはは、「無化学調味料」で大阪ではアッサリの代表格のような味付けで有名な店である。店主の人柄をそのままスープにしたような、やさしい味の和風ラーメンだ。
そういったスープは、麺の長所も短所も同時に引き出してしまう、つけ麺にすると、それがより強調されるだろう。

当時、試食段階で発見できて、今はよかったのではないかと思った。その店は、いまや行列必至で、関西ラーメン総合のタイトルを得るまでに成長されたからである。
店主の努力と誠実さがラーメンの味に現れたのだろう。
これからも精一杯努力した分、さらに味になるのだと思う。
posted by 赤シャツ at 16:56| 日記

2009年07月14日

麺の話22

 麺の話17で麺の「ゆで方」のことに触れたが、「旨い麺」をゆでる大事なポイントとして「茹で釜」の問題がある点についてさらに掘り下げて解説をしたい。

単純に「大鍋でタップリのお湯で、泳がすように茹でる」のが好ましいのは周知の事実だろう。素人さんでもわかることだ。

しかし中華麺はアルカリ性の為、同じ湯で回数茹でると、水が赤く濁り、匂いもきつくなり、粘度も持ってしまう、さらに打ち粉のデンプンが湯にネバリを与え、口当たりも悪くなる。
この特殊な性質を理解することが、永遠に中華麺の扱い方の中で、一番気を使わなければならないところなのである。

麺は生の状態よりも、茹でると目方は5割〜8割増しになる。これはその分、麺が水分を吸収するということだ。

ということは、そのような汚れた湯の中にどんな良質な麺をいれても、アンモニアやアルコールのアルカリ臭の強い麺になってしまう。これではせっかくの麺も意味がない。
そこでその茹で釜はどんなものを使っているかも大きなポイントである。

理想的な物は、茹で釜に給湯装置がついていて、常に新しい湯と循環できるもの。コレがベストだろう。私も上方屋五郎ヱ門時代から使っているが、すこぶる調子がよい。

次によいのは大鍋二つ用意して、片方づつ使っていく方法だ。もしくは、茹で釜の他に湯沸し釜を用意するのも意味合いは同じである。汚れた水を廃棄して、新しい湯で茹でる事が出来れば問題は解決する。私が駆け出しのころはこの方法をとっていた。

上記2例は、当然ヒラザルやスイノウのようなもので、麺を取り分ける必要があるので、数玉同時に茹でる際などに、出来るだけ多くの「さし水」をしてあげたいものだ。麺が吸収する水分補給にもなるし、湯の循環もよくなる。

実は麺を茹でるのに理想の湯はすこし麺を茹でた後なのだそう。それは粉の専門家から聞いた話しで、私が実感したわけではない。が、さら湯のほうが汚れた湯よりは100倍マシなのは言うまでもない。

話を戻し、その次はというと、「茹で麺機」で茹でる方法である。

高級な「茹で麺機」には「循環装置」や「噴射装置」がついている。
「循環装置」は先に説明した通り、給湯をしてくれるので湯を変える必要や、湯を足す必要がなくなる。

「噴射装置」は、沸騰した湯を麺に噴射して、狭い「てぼ」の中でも麺が泳ぐように工夫されている。「京都百年屋」で初めて使ってみたのだが、なかなかのものである。上手く麺が泳ぎ、大鍋と比べても遜色ない茹で上がりになった。
この方法は数を裁くのに有利だ。というか、数を裁くにはある意味この方法こそがベストなのかもしれない。

ただ、この「茹で麺機」の「噴射」「循環」装置付の物は機械の値段が極端に高いのである。大阪の個人店では、あまり見かけないのも無理はない。私も値段を聞いてビビった。
循環装置はついても、噴射のないもの、両方ないもの。イロイロあるが、まさにピンキリ状態である。
ただ、技術がないのを認めるなら、潔く高級な茹で麺機を買うべきだと思う。そうでなければ、技術を磨けばよい。

ワタシが最近見かけるので、あまり感心しないのは、やや大きめの「寸胴」にテボを掛けて麺をゆでる場合である。(一応、すべてではない。と、いっておく)

これは「寸胴」というものの役割を理解していない職人がよくする行為に感じるのである。
本来「寸胴」は、スープやダシの炊き出しに使うのが正しいのだ。麺を茹でるのは、茹で釜でするのが当たり前なのである。
当然、決定的にダメというわけではなく、長く続ける事を前提とするならば、その仕事はムリがあるようにおもうのだ。
逆に、野外の縁日など、急ごしらえの時などは寸胴で麺をゆでる事もありえるだろう。持ち運びが出来るので役に立つ道具である。

但し、大き目の寸胴に湯を張ると、相当重い。って言うかはっきり言ってもてない。当然、寸胴は持ち運びするときは、中身は空っぽが当然だからだ。そのように作られているのも言うまでもない。

察しの通り、持てない寸胴の汚れた湯を廃棄するのは難しい。で、初めの方はまだマシだが、どんどん汚れていく。当然、想像どうりの雑味のある麺になっていく、と、こういうわけだ。

事実、ワタシが今まで食べてきた店で寸胴で、麺を茹でている店で、こまめに湯を取り替えるような仕事を目撃したことは今まで一度もない。
逆に言うと、寸胴でも中華鍋でも、湯の取替え作業をしている店はこれには当てはまらない。いや、これが行き届いている店ならば旨い麺が出てくる可能性は非常に大きいと思う。

この「寸胴」で麺を茹でている店は「てぼ」を併用する場合が多い。噴射装置があるわけでもないので、よくかき回す必要があるにはある。ただ、あまりかき回すと麺の表面が荒れ、角のないだらしない麺になりやすい。しかしかき回さないと茹でムラが出来てしまう。
但しコレは対策が無いわけでもない。
水分の低い、短時間で茹で上がり、ほぐれのよい麺を使うのであればほぼ、問題が無いように感じる。

何が言いたいかと言うと、ようは「旨い麺」というのは、ゆで方が特に重要だとも思うし、逆に、おざなりなゆで方ではどんなによい麺でも完成度が半減以下になりうる。
麺を茹でるというのはラーメン作りにおいて最終仕上げであり、最も大切な作業なのである。

長時間かけてスープ採る事や、ブランド素材を使う事よりも、あえてそれ以上に大切な仕事であるとワタシは思っている。

そういう事が行き届いている店は、必然的に他の素材の仕上げも怠らず、当たり前に旨いのだなあと、最近、特に思うのだ。
posted by 赤シャツ at 17:00| 日記

2009年04月26日

麺の話21

ラーメン店主の悩みのタネでもあり、ラーメンフリーク方々の話題のネタでよくある「麺とスープの相性」についての個人的見解を。

麺を生かすタイプの出汁はイロイロあると思うが、コレは地域や国単位で結構違う。

私が修行した「関西料理」は麺を生かす出汁として「昆布、鰹の一番出汁に追い鯖節」と教わった。私の作る麺類のほぼ全てにこれを用いている。

洋食では主にオリーブオイルや赤唐辛子が使われる。最近自分で「トマトソース」を作るのだが、これも麺の味を生かす、よく考えられた物だとも思った。生クリーム系は麺の味を生かすというより、麺に味を絡める。と言ったほうが良いような気がする。

中華なんかは、やはり「鶏」主体の塩味スープなのだろう。「湯麺」(タンメン)なんかはその典型だが、違う例の一つとして、「肉味噌」のようなものも使い、麺に絡めていくが、洋食の「ラグー」も同じような感じで、やっぱり麺に絡めるという方がふさわしい。

で、セオリー的には、麺自体の味を生かしたいのであれば味付けはシンプル、かつアッサリであろうし、麺を「具」としたいのであれば濃厚で、コッテリ、絡みやすいソースのような出し汁になる。
極端な例は「ラザニア」や「ペペロンチーノ」のような感じなのかも知れない。

私は麺と出汁の相性はものすごく大事な事だと思っている。
事実、豊中麺哲は麺にコーチンの卵をつなぎに使うが、この麺を生かすのは絶対ににコーチンの出汁なのである。他の鶏を使うのはあまり意味はないと考えている。(実際はそんなことないと思うがあくまで持論です。)
内モンゴルかん水を使うので、味付けの柱である塩も内モンゴル自然塩、関西料理で培ったセオリーから昆布、鰹、鯖、等、私の中でのセオリーどおりに組み立てられた味でもある。

話を変えて、「製麺的セオリー」もあるにはある。
濃厚なスープほど、麺は加水を低く、太めな麺で歯ごたえの強い食感に。
アッサリしたものは加水を上げて、細めの麺でしなやかななじみの強い食感。である。
が、これは大方の場合であって、必ずそうなるとは限らない。
それと最近形状太さよりも、加水率での相性的セオリーの方が優先されるのはないかなと感じることが多くなった。

しかし、本当に大切なのは、麺とスープの相性を決定づけるのはあくまで「茹で方、仕上げ方」であることをハッキリ言いたい。
いくら質の良い麺であっても、生茹でや茹で過ぎにしては相性などあったものではない。また、気持ちのこもった、シッカリ仕事された麺と、そうでない麺とも比較にはならない差がある。麺には「製麺半分、ゆで方半分」だと思う。

それとこれも持論だが「スープと麺の相性の話」は「食べ手」が決めるのではなくあくまで「作り手」が決めるのである。誰がなんと言おうと作り手がラーメンを出してきたら、それが全てだ。明らかに麺とスープのバランスが悪い場合でも、その一杯が作り手のセンスだしそれが作り手の「味」なのだ。それを相性の話にすることはない。ましてやラーメンの「味」はスープのみで決まるのではなく、麺の味、トッピングの味も全て「作り手の味」なのである。麺とスープが「合っていない」時は「そのラーメンは好みではない」これで十分だ。それ以上の話をするのは作り手に感想を求められた場合にあくまで「感想」として申し上げるべきである。

過去に、フリークの方々に一時期多かった質問が「加水は何%ですか」「麺の番手は何番ですか?」といったものがあった。
正直申し上げて「聞いてなんになるの?」と思う。

加水を上げ下げ?、圧延回数?、ちぢれ?ストレート?番手?そこまで知る必要があるのだろうか?
ぶっちゃけ、ご興味がおありなら、ラーメン職人になれる素質が十分おありと判断できる。
実際麺を打って、ラーメン屋さんにもっていくといいと思う。もしくはご自分で開業されてはどうか?

思い切って書いてしまったが、個人的見解である。

まあ、どう思われるかは人それぞれなのだが。
posted by 赤シャツ at 21:23| 日記

2009年03月09日

麺の話20

? 010.jpg「一信@此花」は自家製麺ではないが、ある意味、自家製麺以上の独自のオリジナル麺を用いていることでも有名な店である。

関西でも最高レベルの醤油味が食べれるこの店に私が初めて伺ったのはもう7年ほど前になるのか、昼の営業時間内に行ったつもりが、20人前で売り切れとの事。店主に名詞だけ渡して、もう訪れることはないだろうと真剣に思った。

その日の晩、私の営業していた店のお客様が帰り際に「一信の大将が、すまなかったと言ってました。また店に行ってやってください」との事だった。
聞くと、友人だと言う。しかし、友人のためにわざわざ豊中まで足を運んでくれると言うことは、並みの信頼関係ではない、それだけ信頼のおける人ということだ。

私は自分のしたことが本当に恥ずかしい行為だった事に気がついた。
それで次の日、改めて一信の「醤油そば」を食べに伺ったのである。

麺が特徴的だった。中国在来種「黒小麦」をブレンドされた22番手のやや細目の麺は、しなやか、角度もあり、口当たりがとても素朴な、食べたことない味だった。今では当時とは配合や工程が違ってきてるのだろうが、あの一瞬の「野生味」はまさに黒小麦独特の風味なのである。

ゆで方も非常に丁寧だ。大鍋に泳がせて茹でられた麺は平ザルですばやく取り分けられる。近年、気鋭の店でも「平ザル」使用は滅多に見ない。いや。気鋭の店ほど、スープ一辺倒で、安直に「てぼ」を用いる店が多い中、この店の店主の「麺あげ」は見事な仕事である。

保存も製麺所ロットである「一体打ち」(約250人前)に対応するため冷蔵庫を用意し、独特の熟成、保存をしていると聞く。まあ、ここまでしていれば、そんなに驚かない話だが、オリジナル麺であれば、当然必要な設備だ。余計な添加物を入れてしまっては、元も子もない。

スープは豚と鶏で豚が多目の和風醤油味だが、これも独特、香ばしい、滑らかなスープで、アッサリしていながらも。程よい「出し濃厚」的なスープだ。

一信は自家製麺ではないのだが、この店のような、オリジナル麺を作る事はやはり、作り手の熱意そのものだと思う。

製麺所に粉を持ち込み、配合もすべて製麺屋と綿密に連絡を取り合い、保存もすべて自己管理して独自性の強い麺を完成させる、こういった姿勢こそが、これからのラーメン店に要求される姿ではないだろうか。

私は自家製麺派だが、一信のこのやり方は間違いなく「手段の一つ」と思う。人間性の事になるが「熱意」や「信頼関係」があれば、旨い麺を作ることは自家製麺ではなくても十二分に可能と言うわけだ。
そして、それはある意味、自家製麺以上に完成度を高くもっていけるものだとも思う。

一信の店主は、麺に関する言い訳など、一切しない姿勢を最後まで貫いていた。
私はこういった「人間性や熱意」で「抜群に旨い麺」を出している店主を心から尊敬している。
posted by 赤シャツ at 11:50| 日記

2009年03月04日

麺の話19

853583824_10.jpg今回は、私が麺や、麺にちなんだ話で感動したお店の話をさせていただく。

「とっかり@正雀」は私の最も尊敬する職人の店である。
当然「自家製麺」だが、我々が「自家製麺」に使っていた機械とは全く違うレベルの機械を使われた特殊な「自家製麺」でもある。

大きな違いは「ロール径」の大きさだ。聞くと「九寸」だそうだ。

私が当時使っていた「タイセー2型改」のロールは6寸。
今では弟子の「弘雅流製麺」が使っている製麺機だ。それでも自家製麺機では業界最大レベルなのだからこの「9寸」という大きさが自家製麺において半端ではないのはすぐわかっていただけると思う。

「大きいとどうなの?」と思われるだろう。良い質問である。
大きいと、製麺の初めの作業である「バラがけ」の時点で、生地をミキサーのソボロ状の物をシート状にまとめるのだが、この時のロールの当たる面積が大きいロールのほうが圧倒的に広いのである。
広面積に圧がかかる事になり、ムラ無くシート状にしやすいのだ。
よって水分を控えめにされた粉(加水の低い麺)でも良くつながりやすく、作業がスムーズに運ばれるわけだ。コレが小さいロールですると、バラがけがうまくいかず、シート状の「麺帯」にならない。又はなっても切れやすい。
旭川特有の「低加水麺」を作るのには絶対必要な「9寸ロール」なのである。

わたしは「旭川ラーメン」を食べたのは「蜂屋@横浜ラーメン博物館」「山頭火」「青葉」を食べただけなので「旭川ラーメン」をあまり良く知らなかった。

私は「とっかり」のラーメンは今でも何かあると食べたくなる。やはり「麺」が抜群に旨いのだ。19番とは思えぬ厚み、麺のツヤ、口当たりの良さ、味、そして保存性、扱いの良さ、いろんな方面から最高の麺なのだろう。

今は私はこの麺とは全く違う方向性の麺を打っているが、いつかはこのような麺になるのだろうか?この方向のままいくのであろうか?
今では自分でも良くわからないが「とっかり」のおやぢはイロイロな方向から麺を熟知している。それでいてこの最後に残った麺がこの「低加水麺」なのかも知れないと思うのだ。

滅多に使うことの無い言葉だが、この麺にこそ、このラーメンにこそ「洗練」というものを感じる。
posted by 赤シャツ at 20:18| 日記

2009年01月30日

麺の話18

私が使う粉は主に「オーストラリア」からの輸入物である。
オーストラリア産の小麦は「プライムハード」「スタンダードホワイト」が主である。

この「プライムハード(P・H)」は硬質小麦で非常に粘りが強い。シナヤカな食感もあり今から約10年前頃から注目されてきた。

私はラーメンを作ることを始めた時、粉の選択から入った。
「ことぶき」、「カメリア」「スーパーキング」「ナンバーワン」等、いくつ試したか解らないぐらい試した。

当時「日東商会」という粉屋さんが東京にあり、そこの「優麺」を使った時に私は確信に近い手ごたえがあった。それが私と「P・H」の出会いである。

とにかく、歯ごたえが理想的だった。今まで使っていた小麦粉では考えられないくらいの豊かなコシ、弾力があった。そして、味が良かった。当初タマゴすらいらないと思ったほど、抜群の味わい、くちどけの良さがあった。今でも、初めて「優麺」を小型手動の製麺機で打った事を思い出すとその時自分がいた厨房の立ち位置の事や試食していただいたパートの方の表情までハッキリ覚えている。

当時私が研究中のラーメンをひっそり出していた「リバーサイド」というレストランが静岡県裾野市の「市民文化センター」にあり、パートの方たちの昼ごはんは毎食「ラーメン」だった。自身も食べたが、毎回2〜3杯食べていただいた。本当に今から思えば感謝である。

とにかく麺!。スープもそれなりに作ったが、「P・H」に出会ってから麺ばかりに思いが入ってしまい毎日「麺」ばかり打っていた。

その頃、実家の料理屋の裏手で「名古屋コーチン」や「ウコッケイ」を飼っていた。そのタマゴが「P・H」に相性がいいのが解った。

それで「近代食堂」で掲載されていた「ムラセ農場」からタマゴを仕入れてみた。コレがまた、さらに物が違う。同じコーチンの卵とは思えない、濃厚な卵黄の味、卵白の弾力、コレも確信に近い手ごたえがあった。
私が24歳の頃だろうか、麺作りに没頭していた頃の話である。
posted by 赤シャツ at 03:28| 日記